私ども日本女性放送者懇談会(SJWRT)では、毎年、放送界で活躍し優れた功績をあげられた女性に『放送ウーマン賞』をお贈りしています。3月14日(水)、放送ウーマン賞2011の贈賞式が、帝国ホテル(東京)で行われました。
★受賞の挨拶★「伝えるべき情報を、志を持って伝えていきたい」
放送ウーマン賞2011 堀川 惠子さん
堀川さんは、20年にわたりテレビ報道の現場で、「人の命」をテーマにした優れたドキュメンタリー番組の制作を続けてこられました。なかでもNHKのETV特集では、2009年から3年連続で死刑問題に取り組み、質の高いドキュメンタリー番組を制作、本にもまとめられました。刑罰の一つとしての「死刑」を、被害者の命と更生の道を閉ざされ処刑される死刑囚の命、ともに「命」という視点から見つめ、罪と罰のあり方に対する問題提起を続けていることに敬意を表し、またフリーランスの立場からの意欲的な企画を世に問う場が更に広がることを願って、放送ウーマン賞2011を贈りました。
堀川さんは挨拶の中で、「私たち放送現場で働くフリーのディレクターにとっては、環境は非常に厳しくなっていて、どうしても目の前のことに追いついていくのが精一杯というような現状が残念ながらあります。そういう中で一人一人がどこまで志をもって、どこまで一人の力で耐えて、そして日々の動きを追うだけではなく、本当に知らないといけない真実は必死で探らないと出てこない、ということを肝にすえていくか。伝えるべき情報を伝えていかなればならないということを私自身、痛切に感じています。これからの番組制作においても、引き続きこういう気持ちでやっていきたいと思います。」と語りました。
さらに、東日本大震災に関連して、「一個人、一人の人間、一人のディレクターとして今後、番組を作っていくにあたって、“3.11”の現象を自分の中でどう位置づけていくかということは、ずっと悩んでいます。悩みながらも今ある武器で戦うしかない、というのが今の自分の答えです。アメリカの報道が9.11から全く変わったように、すごく大きなシフトを迫られている中で、一人のジャーナリスト、一人のディレクターとして、これから今まで自分がやってきた司法の問題も含めてどういうふうに取り組んで発信していくべきなのかは、すごく大きな課題を背負わされたなという気持ちでいますが、この現場にたっている以上、“プロフェッショナル”でないといけないなと、強く実感しています。」と語りました。
★受賞の挨拶★「今起きていることを力強く伝えていきたい」
放送ウーマン賞2011 白石 草さん
白石さんは2001年の設立時からインターネットの特性を生かし、マス・メディアと異なる視点で発信する新しいメディアのあり方を模索してこられました。特に2011年の原発事故では、発生直後から他のフリージャーナリストたちと協力し、放射能汚染について、被災地の様子をいち早く伝えるとともに、独自の視点で発信を続けています。メディアの多様性を自らの行動で示し続けた10年間の活動に敬意を表し、放送ウーマン賞2011を贈りました。
白石さんは挨拶の中で、「インターネットメディアといってもまだまだ偏見もあり、取材をする際も困難な状況も時にはある中で、こういう伝統のある賞を頂くことで、少しでも多くの方に知って頂きたい、少しでも取材をやりやすくしたいという気持ちもあって、今回お受けさせていただきました。そして、この受賞が決まった直後に福島に入った時に、すごく沢山の方から「受賞おめでとうございます」と声を掛けて頂きました。多くの人が同じように喜んで下さる。放送と通信と違いはありますが、見ている方がいる限り、堂々と頑張っていこうと思いました。」と受賞の喜びを語りました。
また、東日本大震災後の福島での取材を紹介しながら、「“3.11”以前に戻ることはできない中で、自分自身が何ができるのか、必死で多くの方々が取り組んでいらっしゃると思います。私自身も本当に小さいメディアですが、引き続きできることを精一杯やっていきたいと思っています。おそらくメディアの現場でもそういうことを考えて取り組みをされている方がたくさんいると思いますが、願わくば、放送の世界の方々には、本当に今何が起きているのかを、もっと強く、一緒になって伝えていってほしい、と思っています。」と力強く語られました。






異動したNHK広島放送局で原爆被爆者に「広島に何をしに来たのだ」と問われたことがきっかけで「戦争と人間」をテーマに多くの番組を制作してきました。2009年夏に放送されたNHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」は、これまで公的な資料がほとんどないとされてきた大日本帝国海軍・軍令部の関係者が戦後開いた「海軍反省会」の証言テープに基づく貴重なスクープであること、組織における責任、過ちに対する向き合い方など、現代にも通じるメッセージ性の高い番組であることが高く評価されました。
放送界に入り50年以上、現役のアナウンサーとして活躍、その鍛錬された落ち着いた声は、多くのリスナーに心の安らぎを与え続けています。1990年「ラジオ深夜便」開始当初から20年にわたりただ一人継続してアンカーをつとめ、高齢者だけでなく受験生やひとり暮らしの人など、人の声が恋しいリスナーの心に〝ふるさとの声″〝母の声″となり語りかけてきました。3月22日に、20年続けた「ラジオ深夜便」のアンカーの仕事を終えたばかり。「54才の時に始めた『ラジオ深夜便』担当が最終回を迎えた。私のように細々とただただ長くやってきた人間に賞を下さって嬉しい。長く生きていれば人と人とのつながりがどんなに大切かしみじみ感じる。」と言い、「女性がニュースを読んではいけない時代」であった昭和32年にNHKに入局、その後担当した番組のデスクから「子どもを産むな」と言われたこと、出産後「子どもを預ける場所がなく」NHKを辞め、フリーとしてNHKの国際放送の仕事を28年続け、その後に「ラジオ深夜便」のアンカーを務めたという、働く女性の草分けとして、放送の歴史とともに歩んできた道のりを振り返りました。受賞の喜びを「一世一代の受賞。みなさまのおかげ。(これからは)三味線とハングルで遊ぼうかと思っております。」と笑顔で語りました。
そんな宇田川さんの「ラジオ深夜便」を聴いていたという黒柳さんも、これまで50年余りにわたり放送の第一線を歩まれ、TBS「ザ・ベストテン」ではそれまでにない個性的な司会で番組をリード、またTBS「世界ふしぎ発見!」では旺盛な好奇心で果敢にクイズに挑むエンターテイナーぶりを発揮されるなど、テレビ番組には欠かせない存在として活躍を続けています。また、対談番組では初のレギュラーとなったテレビ朝日「徹子の部屋」は、1976年の開始から今年で35年目を迎えました。今回の40周年特別賞受賞は、1978年のSJ(日本女性放送者懇談会)大賞とあわせて、SJから二度目の贈賞ということで喜びも一入でした。

